2011年10月25日火曜日

小確幸

 生活の中に個人的な「小確幸」(小さいけれど確かな幸福)を見出すためには、多かれ少なかれ自己規制みたいなものが必要とされる。たとえば我慢して激しく運動した後に飲むきりきりに冷えたビールみたいなもので、「うーん、そうだ、これだ」と一人で目を閉じて思わずつぶやいてしまうような感興、それがなんといっても「小確幸」の醍醐味である。そしてそういった「小確幸」のない人生なんて、かすかすの砂漠のようなものにすぎないと僕は思うのだけれど。
(「うずまき猫の見つけ方」1996 村上春樹著)

小さな幸せは村上春樹の「小確幸」に由来する。村上春樹のことだから、僕が考えるより、より崇高な意味を併せ持った造語であり、「僕のはより普通な感じ」ということであえてその冠は使っていない。とは言え、やはり使えばよかったかな〜とも感じたりする。とにかくその事だけは書きたくて、「うずまき猫〜」の本文まで抜粋して書いている。(笑)「小確幸」を毎日渡り歩く生活がしたい。そのために常にアンテナは張りっぱなし。ぼくの場合、「確かな」の部分が多少希薄なのかもしれない。村上春樹なら毎日決まった時間まで仕事をして決まった時間からお気に入りのバーに繰り出してモルツで一杯なんていう、小さいけど確かな幸せ「小確幸」を実践しているように思う。そうしたモノも出てくれば僕だってやりたいが今のところそうした確実なものというより毎日起こる異なる事象の中から、幸せを見出すことに重点が置かれている。でもいくら御託を並べても、やはり「小確幸」が起点にあることは確かだし、理想はやはり「小確幸」なのだと思う。

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